「俺、前世は人指し指劣等生だったんだよ」
出し抜けにそう言われた門田は、不快感を隠そうともせず思いっきり眉をひそめた。
「丸井先輩、残業続きでとうとうおかしくなりましたか」
「まあまあ聞け聞け」
「すみませーん、お冷ふたつくださーい。あ、あとハイボールひとつ」
門田が居酒屋の奥に大声で呼びかけると、バイトの女の子が可愛らしい声で返事をした。火曜の夜にしては店内はざわざわと賑やかだった。
「前世の記憶があるってよく聞くじゃん? まあ俺もある日突然、前世の記憶がこう、ビビビーって蘇ってきたのよ。それが面白くてさ。普通そういうのってどっかの貴族~とか、江戸時代の侍~とか、まあ、地球上の過去のことが大半じゃん?」
「そりゃ、前世ですからね。現代より前の時代じゃないと色々おかしいですよ」
「俺が思うに俺の前世の場所は、地球じゃないね。殺伐としていて、機械とかはそんなに発達してなかったかな……一番早い移動手段が馬だったし。それより何より、この現世にはない大きな特徴があったんだ」
しばらく無言になったので、門田は手の中で弄んでた枝豆の皮から目を離して、丸井に目を移す。「なんだと思う?」というキラキラした目が門田を凝視していたので、なんですか、と聞いてやる。
「人指し指で、話すんだよ」
「……そろそろおあいそしますか?」
「こう、相手に向かって、ふいっと指を振るんだ」
丸井は人指し指を立てて、指を振り門田のおでこ辺りを指さす。名探偵が犯人を指し示すよりは控えめ、といった具合だった。
「こうやって指を振ることで、相手の脳内に言葉を飛ばせるんだ。言葉だけじゃなくて、感情みたいなものもな。まあ、俺たちでいう声と言葉と同じ感じだ」
「なんか、魔法使いみたいですね」
「魔法じゃなくてれっきとした科学だった。その世界では。電波みたいな波が飛ぶんだと」
門田が頼んだハイボールと水が二人の間に置かれた。門田はすっと手を伸ばし、ハイボールをゴクゴクと飲み下す。丸井の話に引き込まれそうになっていたのをごまかすかのように。
「俺は、その人差し指での会話が全っ然できなかったわけよ。発信も、受信も。国語の成績は万年一だった」
「全然できないなら、生活さえできなくないですか?」
「いや、発話がないわけじゃないんだ。だから俺は伝えたいことは声に出して伝えてた。ただ、人差し指での方法がメジャーなわけで、かつめちゃくちゃ便利なわけで。だから俺はなかなか不便な日々を過ごしたわけだ」
丸井は唐突に振り返ると、大声で店員に「生ひとつ!お願いします!」と呼びかけた。
「結局、生涯ずっと、人差し指での会話はできないままだったんですか?」
「ん? いやわからん。全部思い出したわけじゃないからな。そういう世界で、旅しながら生きていたって漠然としたことしかわからん」
丸井はフライドポテトを5本ほど口に頬張り、モゴモゴと咀嚼する。門田はそれにつられるように、1本をケチャップにつけて口に入れた。
「ちょっと、スマホに似てますね。今だったらSNSでイイネをタップすれば簡単に好意が伝わりますし」
「いやいや、人差し指対話術はそんなもんの比じゃないから。まじ会話」
「できなかったのにわかるんですか?」
「……確かに。いやでも、世界中があれだけ使ってたってことは、発話より優れてたから、じゃない、か?」
丸井は腕を組み、むむ、と考え込んだ。酒が頭の働きを鈍くしているからか、あまり思考は回っていないようだった。
「ていうか、なんでこの話になったんでしたっけ?」
「ああ、門田にはいつか伝えようと思ってたからな」
「はあ? なんでですか?」
「俺が前世の記憶思い出したの、門田を初めて見た時だったから」
思いがけない言葉に、門田は丸井の顔を凝視した。丸井は枝豆を噛みちぎるかのようにガジガジとかじりつくのに夢中で、門田の戸惑いに気づかない。
「自分が、今の部署に来た時の……挨拶の時ですか?」
「そうそう! 課長がみんなに門田のこと紹介したじゃん。あの時!」
丸井は興奮したように半身を門田の方に傾ける。門田は唇に右手を当て、あの日の光景を思い出していた。
「門田の立ち姿を見た途端、前世の記憶がぶあああってよみがえって。一気に霧が晴れたような気がしたんだ。世界が本当にクリアになって。いやあ〜なんかめちゃくちゃ嬉しくて。きっと前世で俺と門田は出会ってたんだと思う!」
「……じゃあ、挨拶の後、満面の笑顔で真っ先に話しかけに来てくれたのは」
「この嬉しさを世界中に叫び出したいくらいだったからな! 本当はすぐ言いたかったけど、さすがに初対面で前世とか言い出せないだろ? そこはぐっと堪えたよ」
丸井は、前世の記憶がよみがえった時が自分にとってどれだけ素晴らしい瞬間だったかを力説している。一方の門田は唸り声をあげ、両手で顔を覆いながらうなだれた。
ふいに門田は右手を、丸井の顔の前にすっとかざした。丸井の言葉が一瞬止まる。そのまま間髪入れずに、門田は渾身のデコピンを丸井に食らわせた。丸井は痛みよりも、驚きで声を上げた。
「どうしたいきなり?!」
「いえ、人差し指で気持ち伝わらないかなあって」
「……よくわかんないけど、なんか怒ってる?」
怒ってないです、と呟きながら、門田は水をちびりと飲んだ。
「自分、人差し指優等生になりたいです」
「なんだ? 言いたいことあるなら口で言ってくれ。察するのは苦手だ」
「……もうちょっと。覚悟が決まるまで待ってください」
「ん? わかんないけどわかった」
自分の言い回しが面白かったのか、丸井は愉快そうに笑い声をあげた。
門田はその笑顔を横目で見ながら、顔の火照りを冷ますためにグラスをぐいと傾けた。
ーー口下手な自分にも、いつか伝えられるだろうか。
屈託のない満面の笑顔に、一目惚れしたことをーー
(終)